『熊本地震 災害応援にゃんこ隊通信第2号 被災地の状況(益城町)
と子ども達の避難所生活について がまだぜ くまもと! 』
被災地の報告その2(6月25日から6月26日まで訪問)
<熊本県上益城群益城町 避難所と熊本市東区 若葉小学校へ訪問>
6月25日、6月26日に熊本地震の被災地に2度目の訪問をしてきました。1週間前から大雨が続き、被害が拡大していないかと、心配な気持ちで益城町を訪問しました。屋根に張られたブルーシートは連日の大雨で消耗し破けたり、外れてしまっているのもあるため、避難所では新しいブルーシートが配布されていました。屋根に上って自分で張り替えている光景も見られましたが、高齢者のみの世帯は誰かにお願いするしかない状況です。新潟県中越地震の発生した年は、7.13水害、10.23中越地震、そして2月のドカ雪、大雪と自然災害はこんなにも重なるものかということを痛感しました。また、この3つの災害全てに見舞われた地域の方々が「なぜうちだけが」と落胆していたのを覚えています。
訪問したのは、大きな被害を受けた、益城町と熊本市です。25日は、益城町を訪問しました。益城町保健福祉センターはぴねす、益城町立広安小学校避難所は2度目の訪問となります。今回は、前回炊き出しの3日前事前申請(NPOくまもとが仲介し調整)が間に合わずポップコーンをお配りすることができませんでしたが、今回は2箇所で約180食を配布することができました。どの避難所に行っても、ポップコーンを待つ間、釜から飛び出る、豆を大人も子どもも真剣に見つめる姿がありました。ようやく、できたての温かいポップコーンを食べていただけてこちらも嬉しかったです。同時に車いっぱいに積んだ、文房具や景品ゲームも「もう1回いいでしょう」と何度も何度も挑戦してくれていました。はぴねすで仲良くなった2人は、「次もついていっていい?」と次の避難所もついてきてくれ、そこで1等を当て満面の笑みを浮かべていました。
広安小避難所では、今も毎日夕方6時前から8時まで中学生が配食ボランティアとして、2カ月が経過した今でも率先して声を出し、住民の方と直接触れ合っています。そこで一緒になって、元気な声で住民の方と接する益城中学校の先生から色々な話を聞きました。5月末までの調査では、熊本県内の市町村で少なくとも355人の児童生徒が転校を余儀なくされたと報道されていました。「益城中でも約10人の生徒が転校した、さらに、クラスでリーダーとなるような生徒の転校もあった。中には、遠方のみなし仮設に引っ越しても、保護者の送迎で転校せずに通ってきてくれている生徒もいる。地震発生当初は、避難所で1000食のおにぎりの炊き出しをし、握った経験のない生徒も頑張って握って、住民の方に届けた。そのような、避難所で中学生の率先した活動が住民に元気を与えた。だた、地震から2カ月が経過し、避難所生活で大人が本当に疲れきっている。そこで、中学生が何ができるかという時期に来ている」など多くのことを教えてくださいました。その日は、益城中演劇部12人のダンス発表があり、避難所の方、自宅で生活している方など多くの方が見に来ていました。ちょうど、ダンスが終わった後のポップコーンだったので行列ができました。中高生も、好きなだけ文房具を選んでもらい、ジャンケンに勝ったら、好きなくじを引くという景品ゲームに盛り上がっていました。地震から2カ月、支える側になっている中高生も多くの我慢をしてきています。部活の大会が会場が確保できないため、1週間延期になったようです。自由に体育館、グランドが使えないという状況も変わらず、思いきり部活に打ち込むということも制限されている、その中で心のケアが必要な児童生徒が確実にいるということを現場の先生から聞き、こちらも何かできることはないかと考えさせられました。
地震から2か月を経過した、今も6,400人が依然として避難生活を続けています。6月14日からは仮設住宅の入居が開始されました。益城町では町内9か所の仮設住宅976戸を1次募集して、抽選で当選した世帯が14日から順次入居します。ただ、避難所の方のお話では、仮設住宅をたくさん建設する場所がどこにあるのか、その土地は安全なのかなどの声も聞かれました。中越地震でも約200戸の仮設が集合体として機能し、住民のコミュニティをそのまま存続することができたことが、大きな安心に繋がったのを覚えています。今回、抽選であることや、9か所に分散して入居することにより、仮設でのコミュニティはどのように保っていけば良いのか住民の方も不安もあるようです。はぴねす避難所で生活をする、保育園年長さん、年中さんの兄弟を持つご家族はテクノリサーチパーク仮設住宅への入居が決まり、7月末に入居します。町外の遠方に建設されることから保育園の送迎は保護者の負担になるとのことでした。小中学校はスクールバスがでるということになっているようです。今回、新潟の大工さんから「ぜひ子ども達へ」といただいた手作りの積み木を渡すと本当に喜んでいました。地震により、お気に入りの積み木が使えなくなったので、早速、避難所に戻ってから遊ぶと言っていました。また、積み木をお渡しできた小学1年、保育園年少さんの2人兄弟のお母さんは「避難所で生活はしているが、家に帰ろうと思えば帰れる。けど、家に帰って余震が来ると怖いといって、はぴねすに戻ってくる」と言っていました。子どもの心に地震の揺れや音が恐怖としてしみついているのがわかります。
26日には、初日で仲良くなった小学生2人と広安小学校で野球やサッカーをしました。グランドの一部は避難所で生活する方の駐車場となっていますが、思い切り体を動かすだけのスペースはありました。グランドの入り口には、相撲場がありましたが、屋根のみ残っている無残な姿がそのままありました。その後、5月にも訪問した、熊本市東区の若葉小学校避難所に訪問しました。前回よりもかなり人数は減っていましたが、覚えていてくれる方も多く「ああ、新潟のポップコーンの」と声をかけてもらいました。明日、定期試験があると英語の勉強をしていた高校2年生もいました。他の避難所でも言えますが、子ども達の学習スペースの確保が難しいようです。消灯時間や静かな場で落ち着いて勉強できる場の必要性の問題など課題は多くあります。この生活が7月、8月まで続くことが予想されます。また、若葉小避難所は6月末で閉鎖され、別の大きな避難所に引っ越すことが決まりました。避難所から避難所への引っ越しは体力的にも精神的にもしんどいものとなることが予想されますが、小学校の体育館機能を回復するという点では子ども達は嬉しいのかもしれません。
にゃんこ隊が出発する時間が近づいた頃に「今日は雨が降っていないから、キャッチボール外でできますね」と男子高校生が声をかけてくれました。真剣に、全力で1打席、1打席を勝負しました。避難所が閉鎖するため、会えなくなりますが、受験や高校生活頑張って欲しいと願いをこめて、メッセージボールを手渡しお別れしました。
☆にゃんこ隊 隊長の感想(2004年から12年間被災地子ども支援を経験)
今回、大雨の影響もあり、益城町の主要道路を通ると、両脇に崩れた民家が道路にはみ出している場所が増えたような気がしました。雨、風をしのぐことが非常に難しいのがわかります。中には、解体業者にお願いし、建物の解体が終了し、再建のため整地されている家もありました。そのような急ピッチで復興に進むことができる、自宅やお店は限られているのかなと思います。支援金やお見舞金など早急に支給されるものもありますが、全壊、大規模半壊、半壊など今後、新築、改築するにはまだまだ時間が必要な家が多いと感じました。
はぴねすで出会った、4人(小学生2人、保育園児2人)の子どものお母さんから話を聞きました。半壊判定の住宅の場合は取り壊しが条件で仮設住宅に入居できるということで、賃貸なので取り壊しは難しいとのことでした。避難所の生活スペースには2つランドセルと、小さな勉強するための机が置いてありました。新しい住居を見つけるしかない状況のようですが、今後の不安な様子が会話から伝わってきました。
僕らのできることは、普段たくさんの我慢をしている子どもたちと「ともだち」でいることくらいですが、子どもたちと同じようにお母さん方ともつながり、できるだけ息の長い支援をしていきたいと思います。今後も応援よろしくお願いします。がまだぜ、熊本☆
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