『熊本地震 災害応援にゃんこ隊通信第1号 被災地の状況(南阿蘇村、益城町)

子ども達の避難所生活について がまだぜ くまもと! 』

 

被災地の報告その1528日から530日まで訪問)

 

 

 

<熊本県上益城群益城町 避難所と熊本市東区 若葉小学校へ訪問>

 

 414日、416日に発生した熊本地震の被災地に行ってきました。20041023日の新潟県中越地震から12年、なんとかこれまでの経験を生かし災害弱者と言われる子どもやお年寄りの力になれたらと思い、被災地を訪問しました。

 

 訪問したのは、大きな被害を受けた、南阿蘇村と益城町です。28日は、南阿蘇村を訪問しました。地震発生当時は多くの避難所が開設されていましたが、現在は主に4つの避難所に集約をしており、二次避難という段階に移っていると災害対策本部で話を聞きました。二次避難所に指定されている、阿蘇ファームランドでは、民間の宿泊施設が村から委託を受け、ホテルなどの営業ができない客室を使い400人の高齢者や家族連れなどを受け入れていました。今後は避難所からの希望者も多く、800人規模の二次避難所になると話を聞きました。避難所でノロウィルスの発生したこともあり、村では全ての避難所で炊き出しの受け入れを禁止せざるを得ない状況であり、阿蘇ファームランドでも、こちらのポップコーンの炊き出しはできませんでした。担当者にお話を聞くと、「いろんな地域の方が今後もやってくることが予想され、どのような状況になるのかわからない。これまでの大地震などの仮設住宅で設置されていた、仮設ごとの集会場や談話室があるわけではない。今は、うちも被災し営業できない状態で遊具などのある子どもが思いきり遊べるスペースも立ち入り禁止となっている。敷地内が工事現場となっている。その中での二次避難所となっており、子どもを安全に遊ばせるようなスペースが確保できないのは、申し訳ない。また、1カ月、2カ月すると安全が確保でき、子どもが思いきり遊べるような環境になると思う。」と切実な思いを聞くことができました。子ども達と思いきり遊んだり、ポップコーンはお配りできませんでしたが、まだまだ混乱は続いているという現場の声を聞くことができました。

 

 29日、30日は2度震度7を記録した、益城町を訪問しました。対策本部に行く前に立ちよった、スーパー・ホームセンターの店員の方がやさしく新潟から来た僕らに話をしてくださいました。地震から半月は営業できなかったこと、店の職員も被災したこと、今も店の裏は手つかずなこと、道路から一歩裏通りに入ると報道ではないような悲惨な状況にあることなどを教えてくれました。僕らの方で新潟の被災を経験した若者も同行しており、ずっと東日本大震災などの被災地を訪問し、子ども支援を続けていると伝えると、地震当時の色々なことを丁寧に教えてくれました。避難所ではまだ多くの子どもやお年寄りが生活をしていることを聞き、僕らでも何かできることはあると決意し、避難所を回りました。益城町は熊本県が発表した調査結果で、カウンセリングなどの心のケアが必要だとされる割合が最も高いと判断されました。益城町の小学生2125人のうち552人、中学生も964人中80人と、他の市町村より割合が高かったようです。避難所でいつも、ボランティアと腕を組んでべったりとくっついている高校生や月曜日10時くらいに早退して、お母さんと手を繋いで避難所に帰ってくる女子小学生の姿を見ると、「一人でいるのか怖い」という調査結果のそのままの症状がでていると感じました。

 

<にゃんこ隊メンバーの感想>

 

☆山古志中学校卒業生 教育系大学4年生の感想

 

私が三日間の熊本での活動で強く感じたことはボランティア活動をするということ自体の難しさでした。今まで私がにゃんこ隊でしてきた活動は主に子供たちと一緒に野球や鬼ごっこをしたりして遊ぶことを通じて子供たちのストレスを和らげる、また、料理をしてそれを食べたり、時にはそれを地域の方々にも振舞ったりするというものでした。しかし、それらを行うことが難しいというのが今の熊本の実情でした。天候に恵まれなかったということも一因でしたが、子供たちと遊ぶためのスペースが工事中もしくは崩落の危険性があり安全を確保できなかったり、避難所に自由に使うことのできる場所がなかったりと今現在では子供たちと思い切り遊ぶということができない状態です。次回の訪問の際には恐らく少しずつ仮設住宅への移転や住居の復旧が進むため、そこで今回の分も頑張れたらと思います。また、炊き出しに関してはノロウィルスの流行によりしっかりと管理された食べ物のみ配布するという制限があったため許可された避難所のみで行いました。 また帰ってきた今でも「やっぱり我が家が一番たい」というお婆さんの言葉が忘れられません。2日目3日目にお邪魔した避難所は避難者のほとんどが高齢の方でわたしたちが声をかけると震災直後の避難所の様子、自分自身の被災体験、避難所生活の苦労やこれからへの不安な気持ちもありのままに話してくれました。そのどれもが自分のことのように感じられ、中越地震の時のことと重ね合わせながら聞いていました。同じ避難所で生活している車椅子に乗ったおじいさんは熊本新聞が発行した震災後の写真集に載っているところが震災前にはどんな風景だったかというのを東京から来たボランティアの方に地図を見せながら説明していました。「この子が東京に帰っても熊本がどんなところだったか説明しやすいようにしてあげよう」と丁寧に伝えていました。避難所での活動を終え、帰路につくときには熊本城の見学に行きました。そこでは案内をしているおじいさんが私たちに「できたら崩れる前のきれいな熊本城を見て欲しかった。今の状態の熊本城は見て欲しくないな〜」と一言漏らしていました。震災後の熊本がどんな状態だったか伝えると同時に震災前の熊本にも思いをはせているのを見るとやはり被災した方の気持ちは地域や年齢が違っても同じだというのを再認識しました。私は話を聞くことでしか力になれませんでしたが、これからも熊本をずっと応援していきたいです。がまだすばい!熊本!

 

 

 

☆保育福祉系の大学3年生の感想

 

初日、ガレキの山や崩れた民家をたくさん目にして、まるでテレビの世界でした。
こんな状況で人が生活できるのかと思いましたし、復興作業もどこから手をつけていいのかわからない程だと感じました。

 

2日目、3つ避難所を回りましたが1番印象的だったのは、益城町町立広安小学校で中学生高校生たちが自ら率先して 手伝いをしている姿でした。避難所での生活はとても充実しているとは言えないが、子たちはその中で仕事を見つけ、復興に向けて頑張っていました。たま子どもたちには笑顔があり、話をしてみるとみんな明るくて話が弾みました。震災で1度は沈んだ気持ちをまた自分で持ち直していて、強い子どもたちだと思いました。

 

3日目、車いすで生活する高齢の女性は本震の震度7の揺れが恐怖体験になってしまい、夜避難所でのちょっとした揺れでも、怖くてすぐ布団から出るんだと言っていました。
ただでさえ慣れない集団の中での生活で気を張っているのに地震のトラウマが更に気持ちに負担をかけてしまうと思いました。また熊本行ってみなさんの力になれればと思います!がまだせ熊本!!

 

 

 

☆にゃんこ隊 隊長の感想(2004年から12年間被災地子ども支援を経験)

 

 主に3つの避難所(益城町保健福祉センターハピネス、益城町立広安小学校、熊本市立若葉小学校)を訪問しました。子ども達に好きなだけ、我慢せずに文房具やお菓子、日用品などをお渡しするスタイルは変わりません。被災体験から、多くの我慢を強いられているのは子どもも一緒です。小学校では、体育館が避難所となり、グランドの一部は駐車場となっています。益城中学校では、校舎の半分が今も使うことができないため、家庭科室、美術室などの特別教室を教室として使用しています。体育館は被害が大きく使用できないため、市内大会、地区大会前ですが、屋内の部は外で練習を続けています。このような状況だからこそ、我慢せずに中学生にもたくさんの物資や景品を思いきり持って帰ってもらいました。ある小学生は、当たりつきのくじ引きを当たりがでるまで引き続けるという特別ルールで大喜びでした。

 

 避難所では、朝は食事は配給されず、昼と夜だけお弁当やパン・おにぎりなどが配給されるところもありました。避難所生活から、自宅に戻った方も、このお弁当を取りに歩いて来られる方もいますが、さすがに同じようなお弁当に飽きた方も多く、自宅から取りに来る方は減っていると配給ボランティアをしている中学生が教えてくれました。いつまで、避難所としての機能を学校の敷地内で継続するのかという漠然とした不安を、子ども達も感じているということが現地に行ってこそ分かりました。

 

 僕が3日間、被災地を車で移動し感じたことは、特に益城町では、常に道路の両側で損壊した建物が目に見える状況で子ども達にとって日常化している怖さでした。無残な姿で崩れている家を毎日目にすること、雨や風でさらにぺしゃんこになる可能性があることなど、あの時の音や光景を常に思いだすような状況に置かれていることは子ども達を一層不安にさせると同時に、大人に迷惑をかけれないと我慢を続けることになると感じました。同行した、山古志の大学生は被災した当時小学校の高学年でした。何年か経って、自宅を訪問しお父さんが教えてくれたのは「隊長さんたちと元気に避難所で遊んでいたりしたけど、夜、ふとんを被って一人で泣いていた。きっと、周りに見せられなかったんだろうな」という言葉が今も忘れられません。益城町や熊本市東区の子どもとお年寄りと今回の訪問で「ともだち」としてつながることができました。僕らの良さは、継続して訪問し、遊びの提供やお話し相手、とにかく、楽しいこと、嬉しいこととして感じてもらうことの体験を繰り返すことだと実感しています。今回も「2日連続で来てくれると嬉しい」と避難所の玄関まで見送ってくれた、女性がいました。まだ、できることはあるかなと思いました。また、次回、訪問をしたら報告したいと思います。がまだぜ、熊本☆

 

活動写真も入ったにゃんこ隊通信は以下をクリックしてご覧ください

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熊本地震にゃんこ隊通信第1号 160531
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