「にゃんこ隊から全国の皆さんへ そして山古志の‘ともだち’へ」
今回、この写真集を作りながら、1番感じたことは、僕らを子ども達が「ともだち」だと感じ続けてくれたことです。振り返ると、避難所の出会い、仮設への引越し、慣れない長岡の小学校への登校、にゃんこ隊とのイベント、山に帰る家族の思い、残された仮設での思いなど心は揺れ続けたと思います。まだ不安げな出会いから、ともだちとして認めてもらった頃とを比べると表情も違います。
何かこちらがしてあげるという姿勢ではなく、一緒に作りあげ、力を引き出すんだという強い信念で今まで活動してきました。僕らの中で苦労があったと言えばあったかもしれません。中越地震から何日か経って物資が送られてきたものを必死に仕分けをし、喜んでもらえる事だけを考えながら夜遅くまで毎日のように作業をしたこと、約束の物資を届けたいがために詰め込んで車のガラスが割れたがそのまま避難所へ急いだことなど計算できない単純な思いだった。目の前で足りないものや満たされない気持ちがあるから、届けたいしとなりにいて話したいと思った。それは「人と人が支えあう」当たり前の気持ちから来たのかもしれないと今思う。
僕はいつも頭にタオルを巻いています。子どもからはTV番組でおなじみの「はまぐちー、とったどーて言って」と言われ続けています。このタオルには理由があります。1995年阪神大震災、その時僕はTVを見ているだけで何もできずにいた。それから3年後、子ども達を連れ神戸長田区の鷹取救援基地を訪れた。まだ、仮設があり僕らにもできることはあった。そこでタオルを首に巻いてずっと支援を続けている神田代表と出会った。「タオルは誰かが怪我をしたら巻いてあげれるし、自分も顔を洗ってふける」と教えてもらった。ただ本当の理由はがれきの側で火をたき、勇気づけあったあの日のことを忘れないためだと僕は感じた。その日から僕もタオルを巻くようになったというきっかけがあった。これから先もはまぐちと呼ばれ続けながらタオルを巻いているだろう。それは僕もあの日を忘れたくないし、この歩んだ800日を宝物にしていきたいからです。
5年後、10年後この写真集を見ながら、成長した子ども達が僕らと再会してくれることを本当に楽しみにしています。それぞれの出発でばらばらになってしまった子もいますが、この写真にある、笑顔とつながりはきっと続くのだと確信しています。自分のアルバムを振り返るようにこの写真集が大切なものになっていたら素敵だと感じています。最後にこれからも温かく僕らを見守り続けてほしいと思います。僕らの思いは1つ「山古志LOVE」です。本当に多くの皆さんに支えられて歩んで来れたこと心から感謝します。
災害応援にゃんこ隊 代表 河合 純
2006年12月現在 山古志村データ
人口総数 1746人 世帯数 591世帯
仮設住宅 283世帯 853人 帰村 308世帯 846人
小中学生児童・生徒 110人 保育所園児22人
仮設からの登校 小学生17人 中学生16人 村からの登校 小学生49人 中学生28人
山古志竹沢保育所12人 長岡下川西保育所10人(仮設から通園)